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新英語教育研究会神奈川支部HP

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2007.1.5 きくちゆみ講演会

2007年『新英語教育』3月号に投稿した記事です。

きくちゆみ講演会に参加して
●1月5日新英研関東ブロック集会で、『戦争中毒』の監訳者・きくちゆみさんの講演会に参加した。著書『バタフライ』、ホームページ(http://www.harmonicslife.net/)を拝読し、ゆみさんが9.11同時多発テロの矛盾を追求し、防衛省ならぬ「平和省」の創設を目指していることを知り、実際にお話を伺うのを楽しみにしていた。抽象的な話題提供で終わらず、いくつかの具体的な提案を含んでいた。その1つとして、(インターネットでも話題になっていたが)郵政民営化の結果、「郵便貯金で米国債を買っている」という日本の現実をふまえて、「市民ファンド」「労金」などに預け替えることを提唱していた。きくちゆみさんが教えてくれたこと、それはこの21世紀は、お金を預けるという行為が中立的ではありえないというところまで来てしまったということ(子どもの頃、郵便局に貯金をするのが「善いこと」だと信じていた頃がなつかしい…)。つまり、自分の預貯金が戦争を支える資金にされかねない(すでに資金にされている…)こと。この雑誌を読まれているほとんどの人が戦争協力したくないはずだと信じる。しかしボーッとしていると消極的な形で戦争協力になっているかもしれないのだ。この現実は私自身にも受け止めにくい。例えて言えば、タンスに財産をしまっていて知らぬ間に家族が使い込んでいたら、管理しなかったことに関して責任が発生しているということである。この考えは夏目漱石『こころ』の主人公(最後に自殺をする先生)が学生時代に叔父に財産を預けていたら使い込まれたというエピソードにつながると思う。「叔父は叔父」だから「任せておけば安心」とはならないことを夏目先生は私達に示してくれた。 「日本は日本」だから「任せておけば安心」だとか、「お上のことに間違いはございますまいから」(森鴎外『最後の一句』)の20世紀は過ぎ去った。「アメリカのせいにばかりできないぞ、日本!」「他者のせいにばかりできないぞ、自分!」ということだと私は解釈している。 


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